特別支援教育 4 「こんな夢を見た」2

 で、その夢ですが・・・。

 まず、私が主に担当していた子ども、亡くなった子どもですが、を、なぜか、私が自分の
家に連れて帰っている。
 
 これは当時の実際に自分が住んでいたところ。自分の子どもが小さい時はしばらく奥さんの
実家にいたのですが、まさにそこ。

 連れて帰った子どもはちょっと具合が悪くて、ぐったりした感じなのです。

 現実にはもちろん仕事で担当している子どもを自宅に連れ帰るなんていうことはないわけです。
 ですが、最重度の子どもたちの場合は、担当の教員と一対一で過ごす時間が長くなることが多く、
場合によっては9時すぎから3時頃までずっと一緒に過ごす日が多くなったりすることがあります。

 自宅から通っているわけではない、病院の看護の体制は人の人数としては常に厳しい状態ですか
ら、そんなに一人一人の入院している人らにゆっくり関わったりできない、つまりは、その子の
その時点の生活の中で最も濃密に関わる大人が担任の教員だったりすることは、まあ、普通にある
わけですね。教員の側にしたって、例えば自分の家に小さい子どもがいたとしても(実際、いましたが)、
その子関わる時間はこんなに長くはならない。
 そういう中では単に指導・被指導の担任と児童という関係以上の人と人との関係性というのが
深まりやすいということがあります。これは、場合によってはマイナス、よくない方向に作用したり
することもあるのですが。

 だから、いわば「家族」的に自分が担当している子を自宅に連れ帰ってしまうような場面というの
が夢の中に違和感なく出てくる、これは自分の側の深層というか潜在的心理の反映でしょう。

 で、その子をフロアチェア、床におく椅子にちょんと座らせる。

 うちの奥様は「あら、連れて帰ってきたん。具合悪いのんと違うの?」とか、これも普通に言ってる。
奥さんも前は同じ学校で仕事をしてましたから、状況はまあわかってるわけです。
わかってるにしたって、そこで普通に喋ってるというのが、またおかしいところではあります。

 ここからがこの夢のメインのところでして、

 私がその椅子に座らせた子の前に行くと、子どもが手を少し挙げるようにしたので、私はそれに応じる
ように、ちょうどETの映画で指と指が触れ合う場面のように、自分の指先とその子の指先をくっつけた
のです。

 すると、なにかシュルシュル~というような音がして、なんとその子は指先と指先がふれあっている
その場所から、スーッと私の体の中に全部吸い込まれてしまったのです。

 「えーっ!なに、えーっ!」みたいに私はすごくあわてます。

 「ちっょと、今、ここにおった!、ここにおった!」とか、奥さんに言って、もう混乱をしている。

 混乱しているのだけれど、同時に、その子が自分の体の中に吸い込まれたことは全然不快ではない、むしろ
なにか暖かい気持ちになっている。だけど、やっぱりその状況が理解できずにあわてている、そんな感じ。

 ここで夢は終わりです。

 あんまり情緒的になるのは好きでもないのですが、この夢を見てから、その子は自分の中にいると思うように
しています。

 まあ、いつもこんなことを考えるわけではないのですが、今でも時々思い出すのです。これは、どうだろう、
もう15年以上前のことですが。

 で、この子に怒られないように、恥ずかしくないように頑張らないといけないな、とか時々考えていました。

 ということで、この子は亡くなっても、ずっと私に対して影響を及ぼしているわけですね。

 人は人と人との関係の中で成長したり発達したりする。この子の命の意味とかこの子と出会った意味という
のは、少なくとも私にとってはかなり大きかったわけで、それは、ある意味、人の命が存在する意味とか価値と
いうことにつながるのではないか・・・、とか思ったりしました。

 はい、「こんな夢をみた」、おしまい。

 これ、書いてよかったかな?、と今、ちょっと自分の中にいる彼に聞いておきました。
 

 

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