特別支援教育 27 安心・安全、安心・安全、安心・安全(1)
特別支援教育 27 安心・安全、安心・安全、安心・安全(1)
「安心・安全」って、当たり前のことのように思いますが・・。
前に仕事をしていた学校の校長さんが口癖のように言ってました。それ以外では、あまり覚えていることはないのだけど。
さて、この当たり前のことが実際にはそんなに簡単でないということもよくあります。
まず、この2つは一括りにして言われることがあるけれど、当然、その意味は異なります。
また、誰にとっての安心・安全なのかということによっても意味が違ってきます。
まず「安心」の方ですが、こちらは気持ちの問題。
安心できるかどうか。誰が?、子どもが、保護者が、教職員が、あるいは、その周囲にいる様々な関係者が。
極言すれば、これは個人の気持ちの問題だから、「こうすれば安心」という基準というのは設定しずらいというか、できない。
ここまでこうしておけば安心だろうと思っても、そうはとられない場合というのもありますから。
ですが、安心の条件というのは、一般的には色々考えることができます。
子どもにとっては?。それは、学校という場が、楽しいことがあって、落ち着ける場所があって、自分に危害を加えられる(肉体、精神両面で)ことがなく、信頼できる人がいれば、それは安心でしょう。
そういうイメージが持てること、時と場合によってはこうならない時があっても、全体として、こういうイメージがしっかり持てれば安心。
保護者にとってはどうか?。
それぞれの願いや思いに応えてくれないような状況というのは、安心とは違うかな。
どうだろう、これは不満ではあるでしょうが、ちょっと安心という概念とはずれるかなと思います。
安心ではない状況というのは「わからない」状況でしょう。どうなっているのかわからない、どうしてなのかわからない。
それを解消する手立ては、基本的には情報を公開し連絡を密にし、学校と保護者相互の信頼関係を構築するように努めるということですね。
当たり前ですけど。でも、これがうまくいかないこともよくありますが。うまくいってなかったら、その原因や意味を考えて、改善する手立てを考え実行するしかありません。
教職員にとっては?。
「これをしたら感情的に非難されるのではないか、怒られるのではないか?」そんなことにビクビクしながら仕事をしているような状況は「安心」とは言えません。
のびのびと、自分が「これがいい」と思ったことをすすめられる状況なら、安心。
孤立しているような状況は安心とは言えない、同じ目的に向かって一緒に取り組めれば安心。その経過の中での適切な相互批判はむしろ望ましいことで、それが意識せずに普通にできるような状況が理想。
では、どうしたらそうなるのか?。
前述した保護者が安心できるような状況がつくれておれば、多くの場合、それは教職員にとっての安心にもつながります。
ただ、学校の中での相互関係なり上下関係なり、そういうのはなかなか難しい。
建設的な意見や批判と、感情的な非難というのは意味が違うと思うのですが、それがごっちゃになってしまうことがあります。
ここらあたりをうまく整理して仕事ができるといいのですが、いろんな意味でそれは難しいことがあります。
次、「安全」。
つづく。