新年度の本格的な授業づくり(2)

新年度の本格的な授業づくり(2)

前回、授業のねらいとして、多くの場合、以下の3つのねらいが成立すると述べました。

・「できる」こと
・「わかる」こと
・「楽しむ」こと

普通に考えて、この3つのことは相互に関連しています。

極めて簡単に言えば、
「わかって」「できた」から「楽しい」とか「嬉しい」とか「面白い」ということになるわけですね。

この場合だと、ベースになるのは「わかる」ということ、つまりここのところを具体的に分析して煮詰めた
ねらいが基本になるように思われます。

ここが弱いと、一見、というか事実その特定の事象については「できる」「できている」のだけれど、
それは、ちょっと何かが変わればもうできない、つまり、本質がとらえられていない、゜わかっていない」
と、汎用性がない。

「楽しむ」とか「楽しい」とかいうねらいは、抽象的であり、具体性に乏しく、ねらいとして適切ではない
といった「批判」がなされたことがあると聞きます。

この「批判」というのは、半分は当たっていて、半分は根本的なところで誤っているように思います。

「楽しむ」というねらいは、個々の子どもによって意味が違うはずです。その子にとって、あるいは、この授業
の中で楽しむというのはどういうことなのか、そこのところが明確になっていないと、評価ができません。
評価の視点をはっきりさせにいといけないということです。これは最初に述べた、3つのねらいの相互関連性と
いうことと関係があります。こうした意味で「楽しい」「楽しむ」といったねらいは、より具体的に深めたものと
して考えておかないといけません。

が、同時に「楽しむ」こと、そのものは、多くの授業では重要なねらいになるはずです。
授業が楽しいものでなくてどうする?、そこに授業の本質的な意味があるのでは?と思います。
これは授業の捉え方にもよる、授業というのはどういうものであるとするかによるのですが。

相互関連的ではない、ねらいの設定というのもありえます。例えば「できる」ということ。

これ、もう単純に「できればいい」、あるいは「しなければいい」。そういう具体的な行動の変容そのものが
ねらいになる場合。これは、別にわからなくてもいい、楽しくなくてもいい、目に見える行動として「できる」
あるいは「しない」、それができればいいということなので、アプローチの方法、視点もそれに対応したものに
なるはずです。このこと、とにかく行動の変容そのものが子どもにとって大事であるならば、当然、こうしたねらい
の設定もありえます。

「わかる」ということを中心的なねらいとして考えるのであれば、「できる」ことや「楽しむ」ことはそんなに重視
しないという場合もありえます。

いずれなしても重要なことは、ねらいを実際の授業の場面や内容と関連づけて、具体的に焦点化してことです。

授業は、集団で取り組まれる場合、全体としての包括的なねらいが設定されますが、当然のこととして、
個々の子どもにとっての個別のねらいが具体化、焦点化される必要があります。

実際の授業をすすめていく中で、このねらいにそった評価をすすめると同時に、必要に応じてねらいそのものを
見直し、あるいは進化、深化させることも大事でしょう。

つづくよ。

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