特別支援教育 11 授業「豆」(2)
どこまで書きましたか?。
実際の授業に入るところから。どうだったか、もう忘れてしまったところもありますが。
導入
あいさつのあと、合板でつくった斜面の両サイドに子どもらを座らせます。
中心指導の指導者以外はこのサイドの子どもらがいるところにつきます。
この授業の「あいさつ」というのは結構重要でね。
まあ、そんなに長い時間を使う必要はないのですが、例えば、いつもの教室で授業をするにしても、この「あいさつ」
の部分から、教室は「授業」の空間になるわけですから。そのはっきりとした区切りになるように。
そのことが子どもらにわかるように始めたいものです。
そのためには、その時その時で適当なはじめ方をしないで、やっぱり一定の、言い方なり流れなりを確定して取り組みたいですね。
授業を見ていてこの最初のところがいい加減だと「あら・・・」とか思ってしまいます。
で、中心指導の指導者が登場です。ここは、まあ「つかみ」ですよね。
ということは、子どもらをひきつけないといけないわけです。
まあ、ベタな手法として私がよくするのは、足音とか。教室に入ってくる入り方とか。
あるいは、「しゃべり」というか「台詞」。場合によっては、ここはかぶりもの、キャラクター的なものを持ってくる場合もあります。
ついつい、その場その場での適当な「しゃべり」で持っていってしまうようなことが私は多かったですが、はっきりとした台詞とか言葉、あるいは効果音、そういったものは決めて繰り返していくのがいいでしょう。
それが子どもらの「あ、始まった」「また、あれだな」という認識につながっていくと思うので。
それで、教室を暗くします。最初から暗幕は閉めておいて、蛍光灯だけにしておき、この時点でパッと消して暗くします。
しばらく真っ暗になったりするのも場面の区切りとしては面白いですが、真っ暗だとびっくりしたり怖がったりする子があったりもします。このあたりは子どもらの実態に即してですね。
で、スポットライトをオン。合板の斜面、黒い紙を貼ったところを照らします。子どもは合板の斜面の両サイドにいますので、この場合、必ずしも子どもの背後から襲名をあてもという形にはなりません。
ということは、場合によっては強い光源、強すぎる光源が直接子どもらの視界に入る可能性もありますので、とりあえず最初は注意が必要です。このあたりはサブの指導者が気をつけるところ。
これ、今、考えなおすとこう思うのですが、当時、どこまで配慮できていたかは自信ないです。
続くよ。
特別支援教育
山城地域の特別支援教育のことでしょか。
「一斉指導」ができるとの感覚ですね。まあ、軽度の方々の教育っと捉えていいのでしょうか。
分かっておられると思います。重度の方々には「個別な教育計画と実践」が必要な訳ですね。しかも、集団的な論議(手続き)も必要だったのですね。きっと、疲れ果てる時代でしたね。