運用25年の中で大事にしてきたこと(1)資産運用で人生の選択肢を広げることができた

(1)資産運用で人生の選択肢を広げることができた

最初の投資銘柄、商品

資産運用は25年ぐらい前の300万円から始まっていて、その時は実質的にはブル型の投信を150万、個別銘柄は富士重工(スバル)と北陸電力、そして株式ミニ投資でオリンパスはアルパインを買いました。その後、スバルは長く売買対象とし、オリンパスは(ずっとではないですが)現在も保有しています。
投信はごくわずかのプラスで売却しました。当時は販売手数料や信託報酬についての理解も十分ではなく、基準価額が上昇しているのに利益の額が少ないのが疑問だったりしました。

ここまでの利益

正確な計算はできませんが、投資によるここまでの利益、確定利益と時価評価の損益は多分+8,000万程度ではないかと思われます。資産は1億以上にはなっていますが、投資による損益はそこまではいかないです。

現在はD-roomの賃貸住宅建築のため、あえてローンを設定する形にしていますが、ローンの額以上の現金(同等物)があるため、実質的には無借金状態となっており、現在は雇用による賃金はほとんどないですが、それで特に大きな不安を感じるようなことはないです。

これは投資による利益によるものというよりも、比率としては夫婦で30年程度はフルタイムで仕事をしていたことによる退職金を含む賃金があったからということが大きいです。

得られたものは人生の選択肢

投資によってえられたものはなにかと問われれば、まず「人生の選択肢」と答えたいと思います。

自分自身の場合で具体的に言うと、50代の前半のところでフルタイムの仕事からは退職するという選択をすることができたということになります。

この時は父親がずっと入院生活を継続しており、医療対応が必要だったため在宅でのケアは不可能な状態ではありましたが、まずこの父親への可能な対応を最優先して過ごすことをしたいと考えました。

ただ、日常の生活上の必要性からフルタイムの仕事を継続する必要があれば、それは仕事を優先した上可能な範囲で行うということにならざるをえません。しかし、この50代前半の時点で、投資の損益は6,000万以上となっており、退職金を含めれば金融資産は1億を超えることがほぼ確実な状況だったため、フルタイムの仕事を退いても日常生活には大きな支障は生じないと確信することができました。

つまり、投資による利益の蓄積があったため、この比較的早期でのフルタイムの仕事を退職するという判断ができたということになります。こういう意味で「人生の選択肢」が得られたということですね。

仕事は体力的にも、メンタル的にも厳しいところはありましたが、やりがいや楽しみもあり、特にどうしても嫌とかいうことはなかったのですが。実際、その後2年間程度は同じ職場で非常勤で仕事をさせてもらったこともありましたし(これ、とても気楽で楽しかったです(^_^;))。

稼いだものは「時間」

早期にフルタイムの仕事から退いたことにより、得られたものは自由に使える「時間」でした。そのうち、ある程度の割合を入院している父親への対応に費やしたということになります。結局、しばらくして父親は病気で亡くなり、あまり長い時間、この生活を続けることは結果的にはできませんでしたが、この判断、対応には後悔はなく、逆にこの判断をしなかったならば後悔 が大きかったかしれないと思います。

投資で得られたものは「人生の選択肢」と書きましたが、言い換えると「時間を稼いだ」ともいえま す。「時間稼ぎ」というと言葉のイメージはよくないですが、自由に使える時間はいうのは非常に貴重で、時間を稼げたことは投資活動の大きな成果です。

株で大儲けして、なんだろう、億ションだとか高級外車とかブランド品とか、そういうバブリー的なイメージの生活をしようとかいうのは、まあそういう例もまれにはあるでしょうが、ちょっと現実的ではありません。

それよりも、長い投資の時間、経過の中で利益を蓄積することにより、相応に余裕や安心感をもって、自分の意志で自分の人生を選択できるようになる、そういう意義、意味が大きいと経験的に感じます。

つづく。

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