京都教育センター研究集会・障害児教育分科会 1
京都教育センター研究集会・障害児教育分科会 1
昨日、久しぶりに仕事の関係の研究会に参加しました。
テーマは「障害児学校の教育課程~教育目標と教育評価」。
ですが、分科会の運営そのものは、このテーマに沿って議論を深めるようなものではありませんでした。
その前に、今日では「特別支援教育」という用語が一般的になっており、旧来の「特殊教育」はもちろん、「障害児教育」という言葉もあまれ使われなくなってきています。
そうした中で、ここでは、なお、「障害児教育」という言葉を使っています。もちろん、意図をもってこの言葉を使っているわけです。
私自身は「特別支援教育」という言葉にはずっと馴染みにくい印象があります。
その意味についての一般的な理解はしているつもりではありますが。
一方、京都で旧来から使われてきた「障害児教育」については、やはり「障害」とは何かということのとらえ方についての理念が必要、というか、それを含んだ言葉が「障害児教育」であると思っています。
それはおいといて、このテーマの「教育課程」について。
この教育課程だけを取り上げて議論しようとすると、これはなかなか噛み合った論議になりにくいのです。
別に意見が一致しなくてもいい、「こういう考え方とそういう考え方があって、それはこういう点が違うね。」そういう論理的な整理が難しいのです。
なぜか?。
それは、教育課程という時には、教育内容、教育方法、教育形態、そして教育目標、また学習指導要領との関係や集団編成、それらの関連しつつも視点としては異なった内容が
渾然一体とした形になりやすく、そこに当然、子どもら発達や障害の状況による違いなども含まれてくるわけです。
ある学校では独自にこのような整理をしている、他方、ある学校ではまったく違う視点での実践がされている、それらをうまく統合するというのは、その学校ごとで議論がすすめられてきているだけに、難しいのです。
これは養護学校としての歴史のある学校の場合。
他方、新設、及び比較的新しい支援学校においては、そうした議論や前提がないままに、相当の矛盾もはらんだまま、上からの視点で教育課程が提起され、基本的にはそれに従った教育活動が展開されている。
それらを単純に一つの形にまとめて、「これがいい」と言い切ることは難しいし、適当ではないと思われます。
つづくよ