「希望でみちびく科学」三木裕和を読む 4

「希望でみちびく科学」三木裕和を読む 4

 「重症心身障害児」の子どもたちとつきあってきて感じることは、以下のような本書の指摘と重なります。

 これは実は「重心」に限らないでしょう。

P120
「これらの事実が指し示すものは、人間の感情、知的活動は「だれでもが客観的に観察しうる外的活動」に限られるものではないということである。
 重症児に関わる多くの実践家が実感するように、「私たちが『分かっている』以上に、この子たちは『わかっている』のである。」

P121
「子どもの感情、知的活動を、あらかじめ行動的用語として評価基準に設定することは、自ずから限界がある。
 障害があることによって、内的欲求と外的行動の間に矛盾が生じやすく、迷い、ためらい、あきらめなど、行動生起を阻害する要因が発生する。
 常にそれと向き合っている子ども。この姿を理解することこそが、教育評価の基礎となるものだ。」

P127
「障害児教育における教育目標、教育評価を問題とする場合、何よりも大切なことは、この「伝えたいもの」の切実さである。
 授業における教育目標=「伝えたいもの」は学習指導要領においてその大綱が示されているが、
 障害児の場合は、日々の授業のねらいが学習指導要領から演繹的にみちびきだされるわけではない。
 子どもたちを目の前にして、教師たちが自らの言葉で語りきる「伝えたいもの」の切実さこそが、授業を支えるのである。」

とても重要な指摘だと思います。

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