宇治川散歩
今日は天気もよかったので、宇治川の堤防沿いの道などを歩いて宇治橋あたりまで行ってみました。
結局11キロほど歩いたようです。歩数は1.7万歩程度になっていて、日経歩数番のポイントをちょっと稼げました。
これは宇治川にかかる水道橋。人が渡る橋ではありません。造形がちょっとおもしろいかと思い、望遠レンズで撮影。
これはトビでしょうか。
こちらは鷺(サギ)のお宿になっているこんもりとした木々のある場所です。
宇治川東岸、京阪電鉄宇治駅近くの「菟道稚郎子墓(うじのわきいらつこのはか)宇治墓」という場所で、ここは宮内庁管理になっています。この人は応神天皇皇太子ということで、皇位継承を譲るために自害したという話が古事記か日本書紀に載っているようです。で、この人の名前が「宇治」の地名の語源になったという説もあるそうです。
で、一見、古墳のようなのですが、実際は明治時代に宮内庁がもともとあった円丘の地形のところを前方後円型に造成して、このような指定をしたということです。もともとあった円丘も、ここはあまりに川のすぐそばでもあって古墳が残るような場所でもないので、古墳ではなかったという説が有力なようです。つまり、歴史的には場所そのものとしてはあまり意味がない。
ただ、こういう場所、水の近くでこんもりした森で人があまりこないようなところは鷺のお宿になったりすることがわりとあり、奈良などでは実際の古墳がこのようになっているところもわりとわります。
なお、我が家の近所に多い宇治陵も、宮内庁が「適当」に定めたもので、実際のお墓なのかどうかはよくわかりません。宇治川東岸の丘陵地が藤原氏一族の葬送の地であったというのは事実のようですが、指定されている宇治陵はそもそも11世紀とかのことですから古墳時代とは時代がずれ、なにか残っているものがあるということもないので、本当のところはどこがどう陵墓なのかというのはわからずに指定されています。ただ、一度指定されて宮内庁管理になると、区切られた区域は自由に立ち入ることができず、雑木林的な環境が保たれることになったりはしています。で、そういうところがたぬきの住処になったり、鷺のねぐらになったりしているわけです。
写真はミラーレス、700-300の望遠で撮っていますが、レンズがあまりいいものではなく、飛んでいる鳥をうまく追いかけられません。まあ、もともと腕の問題はあるのですが。
サギはけっこう木の枝とかを加えて運んでますね。巣の材料にしているということだと思います。
結構、たくさんいます。