スペシャリストとゼネラリスト

 ということで、お仕事の方は、その「肺癌かもしれん」疑惑等々で、結局、今月もゆっくりとさせてもらっております・・・。
 あれこれ「やり残した」感はあって、それを取り戻せるような機会がいずれあったら嬉しいなとは思いますが。

 私自身は障害児教育、特別支援教育の現場にいた期間が長かったわけですが、してきたのは、基本は普通に「クラスの担任」としての仕事を他の方と一緒にしてきただけのことです。

 別に学校教育にかぎらず、どの分野にも様々なスペシャリスト、専門家というのがおられます。

 特別支援教育の現場でもそうで、実際に大学や研究機関なとで、専門的な内容の研究をすすめること自体を仕事とされている方もあれば、学校の現場の中で実践と研究を一緒にすすめられている方もあります。

 その内容は様々で、例えば、自閉症スペクトラムの児童生徒の指導方法、コミュニケーションのあり方とその具体的な手法であったり、あるいは、肢体不自由の児童生徒についてのポジジョニングと指導の技法であったり、
あるいはコンピューター機器の活用方法とその内容であったり、まあ、それはいろんな視点でのいろんな内容があるわけです。

 で、そうしたスペシャリストの方はそれぞれの専門的な分野、内容からの視点で、子どもたちや授業を見て、いろんな助言をしてくれたり、あるいは批判をしてくれたりする。
 それは、時に非常に重要な指摘だったりもしますし、それまで気がつかなかった新しい視点な指導内容につながるようなことだったりするかもしれません。

 同時に、クラス担任の感覚からすると「うーん、それはちょっと違うのだけれど・・。」「そうじゃなくてもいいと思うのだけれど」と思う、感じるような場合もあります。実際、私自身の経験でもありましたし。

 よく現場にいた時に思ったこと、感じていたことは

 「方法論のみを優先させるな」ということでした。

 子どもの全体像や課題を見極めることなく、無原則に特定の指導内容や指導方法を子どもに「あてはめる」ようなことがあったとしたら、
 それはたまたまそれがその子の全体像と課題に即したものでピダッと来る場合もあるでしょうが、やはり非常に危険でおかしなことに陥っていく可能性があると言わざるを得ない。
 
 これは一般論としてね。

 だから、現場で直接子どもたちと接する責任があるクラス担任は、やはりゼネラリストとしての視点での判断、行動が重要になると思います。
 「それはそうなんだけど、今はそれはできない、しない。」とか
 「一番大事なことはこれなので、まずこれ。次に、発展的な意味で、そういうことに取り組んで評価してみることもしてみてもいい。」とか
子どもなりクラス全体の実態と課題、現状のハード面、ソフト面の様々な条件を総合的に見渡して判断し実施していく、そこには様々な調整が必要な場合もある、そういう力量、それは特定の分野について突っ込んで学習や研究を深めていくスペシャリストとはまた違った力量が求められるということになると思います。

 これはどっちが上でどっちが下ということではないです。視点が違うということです。

 上から見れば円形のものも、横から見れば一本の線にしか見えないこともあります。
 ゼネラリストとしては、できれば俯瞰的に全体を見渡せるような位置からの視点を持ちたいものだと思います。
 それは、言い換えれば、「全体像と課題」の理解がきちんとできているということでしょう。

 なので、子どものこと、授業のことで、プラス面・マスナス面、両面でいろんな意見をもらった時には、それで一々、一喜一憂するのではなく、
 その中味というのを冷静に一度、現実の子どもの実態とかクラスの教育課程の中にあてはめて「どうなのかな?」と考えてみることが重要あり、
 その時に意味を理解した上でそれが「咀嚼」できたら、実際にどあうするかはいろんな要素を含めての総合的な判断になりそれはまた別のことなので、まずはいいのではないかと思います。

 現実には、いろいろ難しいこともいっぱいありますし、ベストどころかベターな判断すらなかなか難しい、結果論的にしか判断できないような場合もあったりしますけどね・・・・。

 

 

 

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