特別支援教育 8 方法論を優先させるな
特別支援教育 8 方法論を優先させるな
この頃はあまりないですが、以前、うちの奥様とよく話していて、結論的には両方とも同じことを考えているのだけれど、その話の経過の中では、双方が思ったことを言うので、なにか激しい論争のように見えるようなことがありました。
うちの娘さんらは、それを見て「喧嘩してるのか?」と思った時もあったみたいです。
これは自閉症の子どもらの指導でありがちな傾向なのだけれど、とにかく特定の指導論で特定の指導方法を行うことを優先させるような風潮というのが一時期ありました。
こうした傾向が現在もあるのか、あるいはそれは解消の方向に向かっているのか、私は感覚的にはよくわかりません。
ただ、子どもの実態や課題を横においておいて、その指導の方法論を優先させるようなことがあったら、それは誤りと言わなければならない。
自閉症の人たちの対する指導方法、私自身はこうした指導の経験はほとんどないですが、は、近年、その研究の深まりとともに、著しく進歩してきていると思われます。
子どもの(中心的な)課題に、そうした指導方法が適切であり、有効であると考えるのであれば、それを導入することは当然のことで望ましいことでもあります。
逆に、そうした方法論をとらなくてもよい子ども、その方法はその子の中心的な課題からずれているような場合は、異なった視点でのアプローチというのも当然あり、その方がいいわけです。
そんなことは考えれば当たり前のことですが、「この指導方法でなければならない」「なぜこの指導方法をとらないのか?」「この指導方法をとらないのは不勉強だ」といった雰囲気があったとすれば、これは極めておかしなことです。
つまり、「この子に大事なことはいったいなんなの?」ということがつきつめられることなく、特定の指導方法のみが強調されて導入されるようなことはあってはならない。
結論的には至極当然のことかと思いますが、それでも、こうした問題は、少なくとも「あった」ということは個人の主観ということでは言えます。
家庭内論争
まあ、同じような状況です。せめて、大学院では、喧嘩しないようにしております。