サイコロジー・オブ・マネー 一生お金に困らない「富」のマインドセットReview(3)2章・3章

2章は「運とリスク」について。成功と失敗は紙一重。投資でもビジネスでも「運」「たまたま」「まぐれ」の要素というのは大きく、成功者でのどこまでが「運」で、どこからが「実力」なのか判別するのは困難

ここはいわゆる「残存者バイアス」と関わるところだと思います。生き残り、素晴らしい成績、成果を残したものが賞賛される。ただ、それは単に確率的な偶然が重なったたまたまの結果にすぎず、そうでなかった結果的に失敗した人、退場した人は、いくら素晴らしい実力があったとしても評価されない。

まあ、そりゃそうだなというところです。

なので、誰に限らず「投資のカリスマ」様のありがたいお言葉とか判断を信奉するようなことは個人的にはまったくありません。

それでもやはり「実力」がある人というのはいるもので、そのエッセンス、本質、普遍性があるポイントについては、多少なりともそれを自分自身の投資の養分として取り込もうとする姿勢のようなものは持っていたいものだとは思います。

3章は「決して満足できない人たち」ということで、強欲に利益をさらに増やす、不正な手段を使ってまでそのようなことを求める人らは結局破滅する、重要なことは「分を知る」ことであり、「それ以上のリスクを取るのをやめるタイミングを見極め、「もう十分だ」と考える大切さを知ることだ。」と指摘しています。

実にごもっともで、私自身、意識としてはもう「それ以上のリスクを取る」のはやめてます。

現在保有している資産は時価評価では100万ドルぐらいでしょう。まあ、普通に、今の生活水準で過ごしていくのであれば、現状でほぼ「逃げ切れた」と思ってますから。というか、50代前半のところでそのような見通しができたのでフルタイムの仕事からは退いたわけです。

株式の現物で5,000万程度保有しているのは特に過大なリスクとは考えていませんし、このぐらいのポジジョンで市場に留まり続けることはする予定です。

が、ここからさらに信用取引とかFXとかで大きなポジジョンを取り資産を大きく増やすことをめざすとか仮想通貨に資金をぶちこんで勝負するとか、そういうことは全く考えていません。意識するのは増やすよりは大きく減らさないということです。だから、無理して勝負するような気は毛頭ありません。

今の水準で無理なくできることをして、それで相応に豊かに過ごすことができ、いろんな経験が広げられればそれでいいわけです。これが私にとっての「分を知る」ということです。

で、日々行っている「投資」は、儲けることそのものが主目的というより、エンターティンメントとしての側面が大きくなっています。

あと3年ほどで年金も入るようになります。自身や家族の健康状態などその時の状況にもよりますが、そうなるとまた余裕の幅が広がるかもしれません。「まぐれ」で利益が思っている以上に増えるようなことがあれば、それはそれで好きに使いましょうか。

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