「桜を見る会」と「国葬」は似ている
どちらも、政党が行うへぎことと、行政、国家が行うべきことを半ば意図的に混同しているという点で似てますね。
なので、皮肉的な意味で、安倍さんの「国葬」は安倍さんらしいとも言えます。
「桜を見る会」も、そうしたことを政党なり個人の後援会とかが主催でそうした人を招いて実施するのは自由だし、そうした会合もいっぱいあるでしょう。
一方、国が行う「桜を見る会」は形式的には参加者についての基準がある行事、そこに個人の後援会の皆さんをどかどかお招きするのは、これは筋違い。
安倍さんの葬儀も、自民党として政治家としての業績の顕彰なども含めて党葬としてするのは自由にしたらいい。それを基準もなにも明確ではない「国葬」の形で内閣の決定だけで実施する。「桜を見る会」の方が形式的で全然守られていなかったけど、基準があるだけましだったかも。
これには2つの問題点があって
・評価が分かれる面がある政治家について、一方的にその政治家としての評価点を実施の理由として「国葬」にすること。
・実施基準も何も定まっていない「国葬」という形について、内閣のみの決定で実施をすること。
というやや質的に異なる2つの面があるでしょう。
そんなことは十分承知でこの「国葬」という形式をとるのでしょうから、それはやはり現内閣としての党内事情、支持基盤固めといった事情があるんだろうなと思いますね。