黄檗山宝蔵院 重文の鉄眼一切経版木がえらいことに!!(2)

13時からは印刷全般やここでお経の版木が作製されることになった経過等についてお話をしていただきました。

つまりは江戸時代の初期に中国から来られた隠元禅師のもとにいた熊本出身の僧侶の鉄眼(てつげん)禅師が、足掛け17年、実際に版木を彫り始めてから13年かけて、一切経の版木を完成させたということです。で、この鉄眼禅師はこの一切経版木が完成してしばらくして亡くなっています。

寺の裏の斜面を少し上がったところに収蔵庫があります。一見、外壁は白く新しい収蔵庫のようですが、既に建築から60年以上たっており、中は空調なども整っていません。阪神淡路大震災の時は大丈夫だったということですが(多分、その時の震度は5)耐震補強等もなされていません。

版木の実物はこんな感じです。材質は吉野のヤマザクラということです。これも当時の吉野の奉行の計らいがあったという話が伝わっています。

裏表、両面に彫られています。中央にスペースがある四百字詰めなどの原稿用紙の元のスタイルはこの版木から来ているそうです。

これだと原稿用紙2枚分ぐらいの感じ、大きさでしょうか。

細かい文字がびさっしり彫られています。この字体が明朝体というパソコンのフォントでもおなじみの字体です。

印刷するとこんな感じで、お経の文字だけでなく仏画などもあったりします。

今の原稿用紙と比較して見せてくださいました。

ここまでであれば、珍しいものを見せてもらったなーで終わりなのですが、問題はここからです。

つづく。

 

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