ウォール街のランダム・ウォーカー 11版 を読む(1)

ウォール街のランダム・ウォーカー 11版 を読む(1)

前回の10版と比較しながら、少しずつ読んでいます。

第一章 株式投資の二大流派
ここのところは前回と全く同じで変更はないです。

「ちゃんとした教授は金儲けしてはならない」というあたりに軽いシャレ。

「投資」と「投機」の違いについて
・どのような期間で投資リターンをかんなが得るががはっきり意識されているかどうか
・リターンが合理的に予測できるかどうか
上記2点をあげています。

これは著者がどう考えているかということの表明でしかありません。

そもそも、なにか基準があってこの定義が定まるというわけではなく、別にそれぞれが自分の定義で
この言葉を語っているだけのことです。

私自身はこれについては「短期の一発勝負、一か八かわからん・・・」的な性格がどれだけ強いかによって、
相対的に投機的であるか投資的であるかということが言えるだけで、あてにならんものに賭けるという点で
本質的に両者にはっきりした違い、区切りがあるわけではなく、スペクトラム、連続体的なものだと思って
います。

25ページから。長いけど、引用。

「いろいろ申し上げたが、一番強調したいのは、証券投資は実に面白いということだ。巨大な投資業界を相手に
自らの知性をもって挑戦し、自分の資産が増加するという報酬を得ることは、実に楽しいではないか。投資のパ
フォーマンスをチェックしてみたところ、資産が給料よりも早いペースで増資しているとわかったなら、胸がわ
くわくすることだろう。それに、新製品や新しいサービスについての様々なアイデアや、金融商品面のイノベー
ションについて知ることも、大いに刺激になるに違いない。一般に、成功する投資家というのは、非常にバラン
スのとれた人格の持ち主で、生まれつき好奇心と知的探究心が強く、それを駆使して資産価値の増加につなげる
ことができるような人物である。」

前段の部分は確かにそうですね。後段の部分はそのようにありたいと常々思っています。

ファンダメンタル価値学派と砂上の楼閣学派

ここのところは、何か両者がまったく異なったもののような印象を受けないこともないですが、実はそうではない。
着目点がやや違うだけではないでしょうか。

前者が本質的な価値に着目するのに対して、後者は期待の部分に着目する。

ただ、本質的価値といっても、それを正確に何かで測定することはできない。
かといって、本質的な価値という考え方に意味がないかというとそんなことはなくて、およその本質的な価値というの
を推定することはできる。

これがベースにあって、ケインズの美人投票論的な発想というのが意味をなすと思いますよ。

「美人」の基準というのは人それぞれとはいっても、やはり、時代とか国、地域によっての美人のある程度の基準という
のは共通するものがあるでしょう。これが本質的価値の部分。そこにどれだけの期待感や付加価値的な部分をつけくわ
えることができるのかに着目するのが砂上の楼閣学派というわれです。

つづく。

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