大神神社と山の辺の道(3)

大神神社と山の辺の道(3)

山の斜面がみかん畑になっています。観光農園のところもあります。

景行天皇 纏向日代宮跡だそうです。「まきむく ひしろみや」と読みます。
実在した最初の天皇は崇神天皇であるという説があるそうですが、この景行天皇は実在が疑われている方。
景行天皇の方が崇神天皇よりも後なのですが。
この「纏向日代宮跡」も、史実として確認されたことではなく伝承ではあります。

だから「伝承地」と書いてあります。

しかし、このあたりは纏向遺跡(まきむくいせき)という大きな遺跡です。これは実際に発掘もされ研究もされています。
で、ここに図が描いてあるのだけど、「イメージ図」的断り書きあり(^_^;)。

この近くには相撲神社なんていうのがあったりします。

野見宿禰(のみのすくね)=力士の元祖 の碑があり、小さい祠があります。

あと、土俵と、土俵入りしている(?)力士の像もあったりします。
シートがかかっている部分が土俵です。

相撲神社はおいといて、話を戻すと、纏向遺跡はかなり大規模な遺跡(3平方キロ程度とか)であり、弥生時代から古墳時代に至る時期の遺跡として貴重なものだそうです。

近くには卑弥呼の墓と言われたりする箸墓古墳があり、崇神天皇陵、景行天皇陵などの巨大な前方後円墳をはじめ、非常に多数の古墳が集中しています。まあ、小山を見たら古墳と思え状態ですね。

とにかく、この地域、この場所に、3世紀半ばぐらいには強大な権力を持つ勢力があったということは事実でしょう。

それが記紀の伝承や邪馬台国云々とどこまでどうつながるかはわかりませんが、当時、って、3世紀半ばとかですが、この場所は、日本の中で最も進んだ先進地域だったとも言えるかと思います。

そうした思いで、この扇状地の上の方から、下を見下ろすと、なにかしら不思議な気分になります。

こうした気持ちをにさせてくれるのが、奈良の良さで、現代の大都市の機能と歴史遺産が渾然一体となっているような京都市では、この感慨というか感覚はないですね。
いくら将軍塚とか大文字山あたりから市内を見渡したとしてもそうでしょう。

つづく。

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