「不平等」で「奇妙」な株主優待制度は、誰も損をしないのでなくならない(1)

「不平等」で「奇妙」な株主優待制度は、誰も損をしないのでなくならない(1)

コメント欄のところで株主優待についてちょっと触れてくれていた内容があったので、あらためて考えてみました。

以下の「」内はwikipediaからの引用です。

「株主平等の原則(かぶぬしびょうどうのげんそく)とは、株式会社の株主は、株主としての資格に基づく法律関係においては、その内容及び持ち株数に応じて平等に扱われなければならないとする原則をいう。その意味では「株式平等の原則」といった方が正確である。」

株主優待は
「個人株主作りや自社製品・施設の宣伝等の経営政策上の合理的必要性があり、かつ、優待の程度が軽微であれば、配当規制や株主平等原則には反しないとの見方が多数」

この2つ、並べて読んでみるとおかしくないでしょうか。どこがおかしいか?。

株主優待は配当のように保有株数に比例して得られるものではないですね。
多くは少数株主が優遇される形になっていて、逆に言えば、大量の株式を保有している株主にとっては意味が薄く、そんなことにコストをかけるのであれば配当を充実させてほしいと考えるのはいわば当然であり、その主張には合理性があります。

これは明らかに「持ち株数に応じて平等」に扱われていませんから、ここだけ見れば明白に株主平等の原則に反するわけです。

株主優待には、当然、会社側の負担するそのコストがありますから、株数の少ない株主はそれで利益があるけれど、逆に、大株主は優待により株主価値が毀損されているともとらえられます。

最近でも、新規に株主優待を設定する企業がある一方、優待を廃止する企業もあります。

例えば、4368扶桑化学工業。

食品関係でもあり、半導体関連でもあります。独自性のある事業内容と業績の好調さで、今は100株しか保有していないですが、期待感のある企業で、下落する場面があればまた買い増ししたいと思っていますが、ここは自社製品の優待をやめています。

分包になったドリンク粉末は、酸っぱい感じで結構好きだったのですが。

その理由の一部が以下です。

「株主の皆様に対する利益還元の公平性の観点について検討を重ねた結果、配当金による利益還元を充実させていくことがより適切であるとの判断に至り」
やはり、公平性の点で、優待は株主還元としては問題があるという認識なわけです。
この判断は、いわば「正論」であり、一つの「見識」のあらわれとも言えます。優待とかなんとかより、事業をきちんとすすめて、配当で還元する、それはそれで極めて真っ当な考えではあります。

まあ、こんなことはどこの企業でもわかっていることです。

では、明白に株主平等の原則に反するような株主優待がなぜなくならず、むしろ拡大しているように思えるのはどうしてか?。なせ、これが「株主平等原則には反しないとの見方が多数」になるのか。

それは(場合によっては、一見損をしているように見える大株主も含めて)株主優待の設定は誰も損をしない場合があるので、不平等で合理的でない面があっても、なくならないばかりか、むしろ広がっているということでしょう。

この方が都合がいいからです。

つづく。

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