大神神社と山の辺の道(5)
大神神社と山の辺の道(5)
JR桜井線、柳本駅から三輪駅まで戻ります。間が巻向駅駅。
つまり、この駅2つ分歩いたということになります。
この日の歩数は約2万歩程度。最近ではこれは最多です。山の辺の道は、そんなにアップダウンのある道
ではなく歩きやすいですが、歩数が多かったためか、翌日は足がだるかったです。
まあ、これぐらいにとどめておくのがいいのでしょう。
列車は1時間に2本程度で、単線です。
ラッピングの電車が来ました。
車内。
まっすぐな単線。なんか気持ちいいです。
三輪駅到着。降車して撮影。
側面には万葉集の歌が。
さて、神社の駐車場で車に戻り、三輪そうめん山本の本社へ。
白龍という細い素麺です。当たり前だけど、このゆで具合いがいい感じ。2つ、デザートと寿司の数がちょっと違います。
この本社は素麺関係の展示室があり、事前に申しこめば、素麺を伸ばす体験もできます。
これはレストラン内で展示されていたものです。
で、道を隔てて本社のすぐ向かい側が箸墓古墳でした。卑弥呼の墓かと言われている古墳です。
案内板等があまりなく、駐車場もありません。古墳として有名なわりには、観光地としての整備はされていません。
ここも宮内庁指定の「陵墓参考地」ですから、そういう対象にはなりにくいのかもしれませんが。
この写真だけだとなんだかわからないですが、これは墳丘の斜面です。
古墳に沿って道がカーブしています。
遥拝所。箸墓とは違う名前になっています。宮内庁の方の指定の呼称。
右が墳丘の斜面。それに沿って少し道がついています。それを進むと・・・。
濠に出ます。
くびれの部分がよくわかります。
正面に回り込んできました。全体の大きさがよくわかります。緑が美しい。
さて、この箸墓古墳ですが、築造されたのが3世紀の中頃と言われています。周辺の出土物等から、およその時期は推定できるようです。
これが、魏志倭人伝に記述がある邪馬台国・卑弥呼の時期と一致するというわけです。
3世紀中頃というと。これは古墳時代としてはかなり初期になります。これ以前は大規模な古墳はなく、弥生時代の方形周溝墓等が主体
の時代でした。それが大規模な古墳へと変化していく時期の初期のものです。
それにしては、かなり平らな場所に唐突にすごい盛り土がしてあります。この土木工事は当時としてはものすごく大規模なものでしょう。
ということは、卑弥呼云々はおいとくとしても、それだけの権力を持った勢力があったということです。
奈良と京都の間の南山城地方に椿井大塚山古墳という古墳があります。
これもほぼ同時期の古い古墳ですが、こちらは自然の山の斜面を利用してつくられています。
うーん、これが卑弥呼の墓なのかも。それも納得の規模で、存在感のある古墳です。
本格的な発掘ができればかなりいろんなことが明らかになるんでしょうけどね。
そんなに面白いというものでもないですが、歴史に興味のある方は実際に見てみられたらいいと思います。
ということで、帰りは天理から奈良公園、般若寺の方に抜ける道から井手町内の道、307から太陽が丘という一般道ルートで帰りました。
ほぼ渋滞もなく、帰ることができました。
一回で山の辺の道全体を丁寧に見ることはできませんので、また行きたいと思います。今度は北の方を歩きたいですね。
おわり。